現役日本語教師の日本語豆知識
「お茶が入りました」と「お茶を入れました」
公開日:2016.10.25 更新日:2024.08.29

監修者情報
ルネサンス日本語学院 日本語教師養成講座講師
どういうわけか、記事が思うように投稿できず、
一日遅れの「日本人が知らない日本語の仕組み」の更新です。
いよいよ秋も深まり、朝夕肌寒さをおぼえるようになりました。
こんな季節は温かいお茶でも飲みたくなりますね。
さて、皆さん。
そんな時、皆さんは、
「お茶が入りましたよ」
「お茶を入れましたよ」
のどちらで他の人たちに声をかけますか。
「お茶が入りましたよ」と言う方が多いのではないでしょうか。
しかし、この文。よく考えると、不思議な文でもあります。
「お茶は自分で茶碗の中に入る」ことはありませんから・・・。
でも、私たち日本人は、「お茶が入りました」という言い方に何ら違和感を
覚えません。
むしろ、「お茶を入れましたよ」と言われた方が、妙な感じを抱くかも
しれません。
では、どうして「お茶が入りました」が間違った表現にならないのでしょうか。
この「入る」という動詞は「自動詞」です。
自動詞と言うと、「自らが動く動詞」と思われるかもしれませんが、
日本語の自動詞には「変化の結果を表す」という働きがあります。
例えば、
「私はドアを開けました(他動詞)。」
→→(その結果)「ドアが開きました(自動詞)。」というように。
ですから、この「お茶が入りました」という表現も、
「私がお茶を入れた(他動詞)」
→→その結果「お茶が入った(自動詞)」
という意味であり、決して、お茶が自ら動いて茶碗の中に移動したという
意味ではないのです。
では、どうして「(私は)お茶を入れました」より、「お茶が入りました」
という結果を表す表現の方が好まれるのでしょうか。
実は、日本人は「動作主である自分を言い立てないことを良しとする」価値観
を持っていると言われています。
それが言葉の面でも表れています。
一番分かりやすいのが、「今度、田中さんと結婚することになりました」
という挨拶でしょうか。
結婚すると決めたのはもちろん自分ですが、「~になりました」という表現を
使うことで、自分を隠しています。
これと同じように、「お茶が入りました」という表現も「~が入る」という
自動詞を使うことで、結果の方に視点をおき、お茶を入れた自分を隠している
のです。
つまり、「お茶を入れたのは自分だ」ということを言い立てない価値観にあった表現なのです。
「お茶が入りました」
特に意識もせず使っている表現ですが、この中に詰まった日本人の価値観を
感じながら、お茶を入れ、誰かに声をかけてみてはいかがでしょうか。
この記事の監修者

ルネサンス日本語学院 日本語教師養成講座講師
《資格》日本語教師養成課程修了・日本語教育能力検定試験合格
《経歴》日本語教師養成講座を修了後、約30年に渡り、大使館、留学生、インターナショナルスクール、企業などで日本語教育に従事。また、(社)国際日本語普及協会の「地域日本語教育コーディネーター研修」修了後は、地域の日本語教育、ボランティア支援や教育委員会日本語研修プログラム、NHK文化センター、一部上場企業などへの日本語教育コーディネイトや日本語教師養成に携わり、日本語教育総合支援など多方面で活躍中。
《専門分野》就労者・生活者・年少者に対する日本語教育。
《監修者からのコメント》
日本語教師の勉強は、「知識」だけでも、「技術」だけでもだめです。 両方揃って初めて「学習者」という同乗者が安心して授業を受けられます。単なる知識の講座ではなく、皆さんより少し先を歩く私たち現役日本語教師が考え、悩み、苦労してたどり着いた答えを多く取り入れた「現場目線」を意識しています。
私自身、国語教師を目指し、日本語の文法にも自信があったにもかかわらず、「こんにちは。」の使い方を外国人に教えられなかった…というショックから、「日本語」に興味を持ち、日本語教師になりました。日本語教育業界は、わかりやすそうでわかりにくいですから、この業界の専門知識のある人に相談することがおすすめです。ぜひお気軽にお問い合わせください。