大阪校ブログ
「教える」って何だろう?~教壇実習で気づいた"伝える"のその先~
2025.06.25
こんにちは。本日は筆者が今年の3月に養成講座を終えたので、「教える」ことについて掘り下げて考えてみたいと思います。
「そもそも、"教える"って何だろう?」
知識を与えること?正しい答えを導くこと?
でも実際に授業を経験してみて、それだけでは足りない何かがあると感じました。
初めての教壇実習。伝えることに必死だった日
最初の教壇実習では、「ちゃんと説明しなきゃ」「間違えちゃいけない」と、頭の中は自分のことでいっぱいでした。
テーマは「時間の聞き方」。教案も何度も見直し、スライドも作り込んで、完璧な"説明"を目指して臨んだ授業でした。
でも、授業後にいただいたフィードバックはこうでした。
「説明は分かりやすかったけれど、学生が少し置いてけぼりになっていたかも。」
その言葉に、ハッとしました。
「ちゃんと伝える」ことに集中しすぎて、目の前の"理解していない相手"に気づいていなかったのです。
「わからない」があるときこそ、教えるチャンス
その経験を踏まえて臨んだ次の授業では、学生の表情や反応をよく見るように意識しました。
ある学習者が、小さく首をかしげていたのに気づいて、思い切って授業を止めて、
「ちょっとわかりづらかったですか? 違う例でもう一度説明してみますね」
と声をかけてみました。
そのあとに「あ、わかりました!」という笑顔が返ってきたとき、初めて"教えること"の本質に少しだけ触れられた気がしたのです。
「教える=知識の提供」ではない
私はこの経験から、こう思うようになりました。
教えるとは、「何を言うか」ではなく、「相手にどう伝わっているか」を考え続けること。
教える側がどれだけ準備をしても、伝わらなければ意味がありません。
相手の理解に寄り添い、言い方を変えたり、例を変えたり、時には黙って待つことも、すべてが"教える"という行為の一部なのだと感じました。
教えることは、つながること
もうひとつ、教壇実習を通して気づいたことがあります。
それは、「教えることは、心を通わせることでもある」ということ。
うまく伝わったときの表情、理解できた瞬間のうなずき----
そうしたやり取りの中に、小さな"信頼関係"が生まれていくように思いました。
ただ知識を届けるだけではない、人と人が向き合う時間。
それが、「教える」ことの魅力であり、難しさでもあるのだと思います。
講座を通して、「教える」ことの奥深さと、言葉にならない感情のやりとりの大切さを実感しています。
国が違うもの同士であっても互いに向き合い、心を通い合わせようとすることは教育の現場では必要になってきますね。
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